どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

おせちの変遷

ちょっと前に、年末大掃除の予定に関するエントリーを書いていた。

大(中?)掃除の進度 - どうしよう?

やりたい事
灯油置き場の掃除
さやえんどうとリーフレタスの苗を植える
換気扇とIH周りの掃除
寝室の掃除
襖修理

と言う年末の目標を掲げていた。

うち、さやえんどうとリーフレタスに関しては、寒い時期だからしょうがないのかもしれないけど、植え替えしようと思える大きさまで育たなかった上に、さやえんどは、1ポットしか発芽しなかったので、年内の植え替えはあきらめた。

が、室内に関しては、29日までにほぼ完走して、昨日予定していたおせちの半分ぐらいまでは完成させて、今朝から残りにとりかかった甲斐もあって、お昼前ぐらいにおせち完了。

と言えば聞こえはいいけど、うちのおせちはうちの都合に合わせた形のいつものうちのおせちで、おせちを作ると言う(又は聞く)と立派だけど、手間も価格もそうたいしたものじゃない。

ただ、おせち料理って地域差も大きい上に、この頃は買う人の方が多くなっているとも聞くので、標準的なおせち料理ってのがどんなのかは実はよく分からない。

私が作るいつものうちのおせちは、私が知ってる昔ながらのおせちとは結構違っている。

数の子は高い上に塩出しが面倒くさくて、価格と手間のコストの割にさして人気がないので作らないことにした。

同じ理由で、黒豆もやめたし、昆布巻きもやめた。

価格と手間はたいしたことないけど、そう旨いものでもないので、結果的に最後まで売れ残る田つくり(ゴマメ)も作らない事にした。

黒豆の代わりにダンナ(だけ)が大好きな金時豆の出来上がりを買ってきておせちに追加。

かまぼこは、切るだけなので、安目でお正月らしい雰囲気のやつを紅白各1本で、重箱のいっかくを担ってもらう。

伊達巻は卵焼きで代用。

煮しめには、筑前煮で重箱1段ぶん。

酢の物は、その時あるやつで適当に、紅白なますだったり、カブか大根の千枚漬けだったり、蓮の酢の物だったりする。

一方で、絶対に作っているのは(おせちにカウントされる気がしないけど)、豚肉のネギ巻きと、サツマイモのきんとん、何時でも安くて日持ちのするこんにゃくをねじったやつの煮物。

その時の価格的に材料が安く入手できたら、蓮又は牛蒡のきんぴら、買い置きがあれば高野豆腐。

だいたいこんなメンツで重箱を埋めている。

 

さて、今年は息子夫婦は帰省しないらしい上に、今までずっと年末年始は必ず休んでいた人に代わって出勤していた大晦日の出勤がなくなった。

ここ数年では初めての事だけど、時間給で働いているので、むっちゃ忙しい大晦日はお得感の低い出勤で、依頼されたときは想定内で、出なくていいよになった時はラッキーって感じだった。

でまあ、年末の時間に余裕ができたので、大掃除もおせち作りもめでたく当初の予定は全てこなせたうえに、ぼんやり考え事までできてしまった。

そのぼんやり考えた事ってのが、私が子供だった頃のおせち料理についてだ。

 

小学校低学年から中学年ぐらいまでは、年末になると、ばあちゃんちで餅つきをしていた。

ばあちゃんちには餅つき用の石臼があって、父がついて母が水を差したりもち米をひっくり返したりしていて、まだ元気だったばあちゃんはせいろでもち米を蒸していた。

その頃の祖母の家は、父が育った家がまだ残っていて、今もしも残っていたら年代物の古民家って感じになったのか、流石に今はもう存在していないのかどうか分からない(残っていたら築100年を超えるはず)。

ーー雨漏りがひどくなって瓦を変えようとしたら、そのタイプの瓦はもう生産されていないという事で、私が小学校の高学年か中学生ぐらいの時に取り壊してしまった。ーー

いろりや灰のこたつがあって、台所や土間には天井板がなく梁がむき出しになっていて、仏壇があった部屋の床は、普段は畳を起こしてまとめていたので板張りで、その板をめくって軒下を覗くことが出来た上に、めくって覗いた軒下には「防空壕」にしたらしい大きな穴があいていた。

ーーちなみに、軍事的な拠点が全くなかったばあちゃんち(=父の生家)は1度も空襲を受けていないし、戦後になって不発弾がみつかったりもしていない。単なる想像だけど、全戸に防空壕を掘るようとお上からのお達しがあったんじゃないかと思っている。

もしそうなら、いい事かどうかは脇に置くと、トップダウンと言うのは、個別の事情を鑑みる必要がないという意味ではとても効率的だとも思った。ーー

そして、TVはないけどラジオはあったので、紅白をラジオで聞いた覚えがある。

さて、そんな風だったばあちゃんちでの餅つきでは、つきあがった餅を放り込む「家紋の焼き印つきの「もろぶた」が沢山あった。

片栗粉を敷いたもろぶたにつきたての餅が放り込まれると、それを片栗粉にまぶしながらちぎって、上からさすりながら丸めて餅の形にした。

その時に、鏡餅用の大きな餅もいくつか作った。

鏡餅をどこに供えたのかという記憶はかなり曖昧で、(今はめっきり見かけなくなった)床の間には供えたような記憶があるけど、鏡餅用の大きな餅は床の間用の1個だけじゃなかったように思うので、ほかにどこに供えたのか、今となっては逆に気になる。

餅つきの話に戻ると、つきたての柔らかい餅に砂糖をつけながら食べるのが私の餅つきの楽しみだったけど、この時食べ過ぎると、その後何も受け付けなくなるという苦い経験もして(腹が全くこなれなくて、おせちも雑煮も焼きもちも食べられなかった事がある)つきたての餅は程ほどがいいと思うようになった。

餅をまるめるぐらいしか出来ない年齢の頃のおせちの記憶は、今書いたもちつきと巻き寿司って事になる。

当地(私の郷里で且つ今私が暮らしている場所)では、正月といえば、巻き寿司とさんま寿司だった。

そして私が小さかった頃は、寿司も各家庭で正月準備として作るもので、巻き寿司やさんま寿司がもろぶたに並べられていたものだった。

この正月の寿司についても色々ある。

さんま寿司桃鉄の特産品として紹介されているぐらいで、鯖寿司のさんまバージョンって感じでふつうに食べやすくて美味しく、鯖寿司ほど油が乗ってないので、あっさり好みの人には概ね好評で、おみやげにもお勧めできるご当地グルメのひとつだ。

が、さんま寿司でご当地寿司は終わらない。

山間部では、さんま寿司のレア版というか通好みというか、かなり癖の強いさんまのなれずしってやつが正月料理の定番になっていた。

なれずし - Wikipedia

うちんちは、父は山村育ちで母は漁村育ち。

父にとってはたまらなく旨いなれずしだったけど、母にとっては意味不明の食べ物で、結局なれずしは祖母だけが作って、父はとても喜んでいたけど、実は私も苦手だった。

かなり好き嫌いの別れる食べ物で、両親が山間部出身だった友人は大好きだったし、ブルーチーズが大好きだという知人がものすごく興味を持っていたりもしたので、知る人ぞ知る的なポジションの料理なのかもしれない。

個人的には、たまらない人にはたまらなく、受け付けない人には全くみたいな「納豆」的なポジションの食べ物じゃないかと思っている(認知度は納豆に遠く及ばないけど、仕組み的なものも似ている)。

小さい頃のおせちの記憶はもちと寿司ぐらいだけど、小学校高学年ぐらいになると、今度はお手伝いとしておせちを作る側になっていく。

まだ寿司は家で作っていたけど、もちは「餅つき機」でつくようになっていて、伯母の家の餅つきが終わると、「餅つき機」を借りてきて家で餅をつくようになった。

そういえば、餅つき機で餅をつくようになった頃には、ばあちゃんちで積み上げていたわっぱのせいろも使わなくなって、アルミのせいろになっていて、わっぱのよりはカサが減っていたけど、うちにあったのは四角いアルミの蒸し器だけだったので、餅つき機器といっしょにせいろも貸してもらっていたのかもしれない。

まだ、もろぶたでもちを丸める手順は変わっていなかった。

ーー今から数えるとだいたい10年近く前、実家を片付ける時になって、物置化していた昔の私の自室に積み上げていたもろぶたをまとめて捨てたように思う。

もうとっくに餅も寿司も買うようになっていたのに、両親はもろぶたを捨てられなかったのだ。ーー

当時の当地の正月料理と言っても、まだローティーンだった私の記憶だし、よその家のおせち料理をつぶさに観察したこともないので、家によって色々違ったんじゃないかと思うけど、巻き寿司とさんま寿司だけはどこでも用意していた事は間違いない。

さて、全国的なことなのかもよく分からないけど、当地では、回る寿司屋さんが登場する以前から、カウンターがあって握り寿司を貫で注文するようなお寿司屋さんや出前で松竹梅を選ぶようなお寿司屋さん(=江戸前寿司)とは別に、巻きずしやちらし寿司をイベントに合わせて事前に注文して出来上がった状態をパック詰めで売るタイプのお寿司屋さんがある。

もしかすると個人宅の注文より、小売店からの注文の方が多かったのかもしれないけどそこらはよく分からない。

工場と言うよりも家内制手工業って感じの店舗がほとんどだった。

江戸前の握り寿司は作らず、太巻き寿司、ちらし寿司、お稲荷さんみたいな保存しやすく鮮度があまり問題にならないような寿司だけを注文に合わせて作っているお寿司屋さんだ。

元々関西では、イベントでは太巻き寿司を作ることが多かったけど、正月料理のメインが太巻き寿司とさんま寿司の当地では、太巻き寿司には海苔の他に卵巻きと昆布巻きもあって、家で作らない場合は、件の江戸前の握り寿司じゃないお寿司屋さんに注文するようになっていた。

私が子供の頃は家で巻き寿司やさんま寿司を作っていたけど、私が実家に戻った頃には、うちも伯母の家も正月の寿司は注文するようになっていて、30日前後に頼んだ寿司を取りに行った。

正月の寿司はだいたいこんな感じで、今は、地元のスーパーでは、年末になると巻き寿司をさんま寿司を積み上げていてそれをみんながまとめて買っていく。

入手方法は随分変わったけれど、食べる物の方は、今も昔も変わらないのがとても面白いなと思う。

寿司の話が長くなってしまった。

私が作る方に参加側になった頃に作ったのは、たつくりと牛蒡と鶏のきんぴらと寒天だ。

寒天って正月料理なのかしらと思うし、私がじぶんちのおせちを作る際には寒天ははなっから除外していたけど、母は必ずおせちりょうりの一角に寒天を加える事にしていて、赤や緑の棒寒天を煮詰めて固めたものを花形の型で抜いて並べていた。

売ってるおせちセットでよく見る有頭海老は今も昔も使った覚えがないけど、数の子はあった。

黒豆は所帯を持って神戸に行くまで、正月料理の定番という事すら知らなかった。

私は作らなかったけど、昆布巻きは必ずあったように思うし、ねじったこんにゃくもずっとあったので、私はあれを正月料理としてカウントしている。

後は紅白のなますで、うちはあれにしびの切れ端みたいのも入れていっしょに酢で締めていた。

正月料理はだいたいが縁起物って認識で、豆=マメに働く たつくり=田作り 海老=色がめでたいのと長寿(腰が曲がるぐらい長生き) 紅白なます=紅白はおめでたいみたいに理解してたけど、寒天とかきんぴらとかこんにゃくはよく分からないな。

後、寿司に関してなんだけど、私が小さい頃は、3が日を過ぎるまでは白いごはんは食べちゃダメみたいにも言われてたので、物忌みの一種だったのかもしれない。