という増田のエントリーを読んで、色々思った事をだらだら書いていく。
先ず、私は介護離職をした訳だが、さしたる後悔はない。
そもそもがパートで、公務員していた両親の年金はそれなりの額があったので、介護をお願いしたり施設に預けて働き続けるよりも、両親の年金を使いながら私が仕事を辞めて介護にあたった方がずっと安上がりだったのだ。
ヘルパーさんにお願いできる事には色々な縛りがあるし、派遣看護はもっと高いし、着替え介助が意外にいい値段になったり、父か強く望んだ深夜の介護はかなりお高い。
増田は、判断不要と書いていて、ネットでは極端な表現が受けるから敢えてそんな言葉を選んだと思うけど、判断不要はさすがに言いすぎだと思う。
簡単に思いつくだけでも、親と子の年齢、住んでいる地域、介護に割けるお金(=親と子の収入)、配偶者のあるなし、子供のあるなし、子供の年齢と、判断しなきゃいけない材料は沢山あるし、望んだ選択肢が必ずしも叶えられる訳でもない。
ただ、私が介護離職をしたのはアルツハイマーの診断を受けてから10年以上になる母が転んで、歩行が困難になってからで、それまでは近所に住んで時々様子を見ながら、こっそり実家の片づけをやりながらパートを続けていた。
転んで要介護3になった母と、加齢で要支援1程度の父の年齢は80代前半で、こちらは50台半ばってところ。
子供はそれなりに親元離れて暮らしている状態だった。
元々、私が地元に戻ったのは親の為というよりは、(いい年こいて)職場に不満を持ったダンナが辞める辞めないでごねて(リーマンショックの影響がまだ強い時期で、雇用状況がリストラかワークシェアかみたいな状態だった)、減給になる上に下請け的な所に移動みたいなのでゴネたらしいので、それなら住む場所キープできるし、私はいずれ戻りたいと思ってたからうちの実家の方に行こうか、的な流れだった。
ここで思いっきりダンナの愚痴を書きたくなったけど、本論と関係なさすぎるので割愛。
で、パートしながら、オンゲしたり、親を見守ったり、おかずもらったり渡したり、こっそり実家の片づけしたり、伯母の家も覗いたり、みたいな比較的安定した状態が数年続いた後、母が転んでほぼ終日の介護が必要になってしまい、介護離職に至るという流れ。
上に書いたように、直後の両親の介護度は、母要介護3、父要支援1程度だったんだけど、この数値によって受けられる支援のレベルは違ってくるらしい。
んで、トイレ介助も必要になった母が受けられる支援はどうなるのか、この時点での私にはよく分かっていなかったので、お父さんがやっぱりアルツハイマーだった、看護師をしている弟のお嫁さんにとりあえず相談してみた。
曰く、お義母さんの状態だと、精神の方でもうちょっと高い介護度になれるかもしれないので、そこら辺アピールした方がいいと思います。
ーー要介護の認定は時期や地域によってブレがある上に、今の方が厳しくなっているらしいので、うちの母と同じ程度の精神(さっき言った事を忘れる、自分がいる場所や時期分からない、知っている人の顔が分からない)の人が、当時の母と同じ程度の要介護認定を受けられるかどうかは分からない。ーー
んで、年1回の介護度審査の前に、
- 私:おかーさん、今日介護度審査の人が来るけど、頑張らん方が得やから無理に考えんでええで、とか言ったら無理しようにも分からんもんは分からんわー。
- さっき言ったことも忘れるけど、会話は普通に可能で、昔ながらの朗らかな返答をもらって笑いながら受けた審査だったけど、無事?要介護4になった。
- 転んだ直後はほぼ動けず、認知機能もガクっと落ちたように見えた母だったけど、解除しながらならトイレにも行けるようになってからは、かなり回復したようにも見えた。
- 両親が生きていた頃は、(時々貯金を切り崩したりもしたけど)両親の年金で介護費用とうちらの生活費はとりあえず賄えた。
- 親の年金、自分の年齢収入、必要な介護の程度、でかなり状況は変わってくる。
- それに、施設に預けるという選択肢は、介護施設の場所や数や必要金額、介護職に従事する人の数を考えると、今後はいっそう難しそうな選択になりそうにも思う。