どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

内緒話

元サイトじゃとても書けない気がして、だけどどっかに書きたくて(こっそり誰かの目に止まりたいと思ってるけど、あんまりバレて欲しくない気分)ちょっとしたメモ。
「死にたい」訳じゃないてのがすごくよく分かって、ああ、彼女はものすごく生きたいんだな。と。
「生きろ」と言う強いメッセージを受け取った、と、タイタニックのラストの笛のシーンについて話すのを聞きながら、私は、あのシーンに、「生きる事を請け負う覚悟」を感じた、とは言えなくて、そうだよね、一生懸命やらなくちゃね、と応えていた。
「生きているのがつらい」んじゃなくて、「死んだほうが楽」なんでもなくて、「ちゃんと」愛してくれないと生きていけない、と、言っているように聞こえた彼女の「つらさ」には、全く共感できなかったけど、それをつらいと感じられる傲慢な繊細さを持っているのがうらやましいと思う。
「ちゃんと」愛するってどう言う事なんだろう?
答えようのない質問に、好み以上の答えを期待して、それが得られた時に「愛されている」と感じられて、安心する。
贅沢にも見えるし、貧しくも見えるし、わがままにも見えるし、崇高にも見えるけど、間違いなく狭い。
狭い狭い隙間から覗いて見ているから、当たり前のものが、ものすごく美しく見えたり、ものすごく恐ろしく見えたりしているような。
聞いて、理解はしてくれていても、受け止めてくれてないから、無駄なのかもしれない、て気になりながら、止めてしまう訳にはいかないよな〜、と。
愛ってものすごくありふれたどこにでもあるものだと思ってるけど、愛のレンジの小さい人は、それをみつけるのが難しくて、難しいからいっそう愛が崇高な特別なものに思えて、どんなに難しくても、自分だけはそれを手に入れようと努力して、いくら努力したって、受けとめる力がなかったら、手に入らないよ、と、言ってしまう事は出来なくて、
きょうも困惑してしまう。
よく似た感性を持った、彼女の先輩や後輩が居るんじゃないかと思うけど、同調してしまうともっとマズい事になりそうで、そんな人が居るよ、と伝える事も出来なくて、そうすると、彼女はいっそうひとりぼっちの違和感を深めてしまって、なんたるジレンマ。
原因が多少見えても、処方箋はみつからない。