どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

コロナ騒動?と呼ぶのには違和感あるけど、適当な呼び名がないので、世間でコロナが問題視しされてから以降の出来事をとりあえず、コロナ騒動を呼びます。

 

私が暮らしているのは、和歌山県で、コロナ騒動が始まってから最初に、感染者が発見された県です。

 

情報が出た時は、よく検査したよなあ、と言うのが第1印象だった。

 

あの段階で、海外渡航と全く関係のない施設の人に検査をしたという事の方が驚きで、どういう経緯で検査することにしたのかなあ、みたいな、他人事のような感想を持っていた。

 

ただ、和歌山で出たという事は、外国との接触のより多いであろう、国際空港のある都市では、感染者がいない方がおかしいよな、との感想も持っていた。

 

和歌山での感染者は関係者の努力の甲斐もあって、爆発的な増え方はしなかったけど、国際空港のある都市では、予想通り、感染者は増えていったように思う。

 

そこらは、ニュースなどから得られた情報から得られたただの感想なので、ここまでにしておこう。

ここはゃはり、私の体験の記録こそが重要なのだと思う。

 

コロナ騒動が持ち上がって、和歌山で、感染経路不明の感染者と、クラスター感染が起きたらしいことが分かってからも、私のコンビニでの就業状況には大きな変化はなかった。

 

私が勤める店舗は、紀南にあり、当該地区とは離れている。

 

この店舗の近くには、長く続いている土木関連の工事があり、それに従事する人が顧客になっている。

 

ただ、私の働いている時間帯が早朝だけなので、他の時間帯については、よくわかっていない。

 

早朝のコンビニには、この現場で働く人達朝食や、お弁当を求めてやってくる。

 

コロナ騒動が起きた後も、この人たちは、普通に働いていた。

 

まだ緊急事態宣言は出ていないけれど、3密を避けろといった言説は出でたし、何より和歌山は、他府県よりも早く、感染者が出ていたけれど、現場の方には、まるで影響はなかった。

コロナから始まる

コロナ前後の事について、記録しておこうかと思った。

もうちょっとで年金がもらえるようになりそうな主婦です。

10年以上前は、ブログ書いたりネトゲしたりしていたのが、家庭の事情で、しばらくそこらから遠ざかっていたのが、介護していた両親が死んだり、入院していたダンナが退院したりして、時間が出来ました。

年金受給年齢まではもう少し時間があるけど、介護やらなにやらで、10年ぐらい前に、パートで勤めていた職場を退職していたのが、人手不足の昨今、ご縁があって、コンビニ勤めを始めました。

もう職に就くのは無理かなと思っていた矢先に勤め先が現れたはよいけれど、仕事初めて3か月ほどで、コロナ騒動が勃発しました。

両親の死後に再開したブログなどもあるのですが、コロナ関連の事を記録しておきたいと思い、放置していたこのブログを再開します。

 

論争(笑)

男は獣とかなんとか関連の、あれを論争と呼んでしまう事にとても違和感を覚えた。
もしかして「論争」の意味が私とは違うのだろうか。

誤読からスタートして前提がまるで一致していない状態で、自分の論を進めてしまえる自信が怖いな。

強い言葉は確かに過剰反応を引き起こしやすいけれど、書かれた文章の意図を取り違えていたのなら、そこから先に書かれたものは、少なくとも「反論としては無効」になると思うのだけど、そう言った展開はまるでなく、ひたすら持論の補強材料を並べ立てる有様が恐ろしい。

書き手の意図に則った反論になっていない多くの文章に、結構ショックを受けた。

私たちの平均的な読解力って一体どの程度なのだろうか?
多くの人に誤解されない文章を書くには、どのぐらいの表現力が必要なのだ
一方で読めていないことを揶揄する多くの言葉にもかなりうんざりした。
それが祭りってもんなのかもしれんが
ないーぶなので、マメに傷つく

自分の土俵に引っ張り込む為のパワーゲームが、インターネットにおける論争となのかな?と、一瞬に思ったけれども、掲示板じゃめったにそんな事は起きないなと思い出した。

ブログって、双方向のメディアじゃないんだと実感。繋がりを強化する役には立つけれど、向き合う事はほとんどないんだな。