どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

プロローグ 現代人を蝕むパーソナリティ障害

Kurilyn2004-07-09

生きづらさの背後にあるもの

生きづらさを抱えている人が増えている。豊かさにこそ幸せがあると信じて進んできた時代は終わりを告げ、今、人々は生きること自体にさえ希望や喜びを失い、行き詰まっている。
テレビのチャンネルをひねれば、ワイドショーからこれでもか、これでもかと流れてくるの、おぞましく、目を覆うような事件ばかりだ。新聞や雑誌の紙面にも、人間に対する信頼や希望よりも、絶望感と不信ばかりが募る記事が、連ねられる。
もっと身近に目を転じても、生きづらさや、悩み、不安を抱えている人が、どんなに多い事だろう。鬱や引きこもり、虐待や家庭内暴力、アルコールやギャンブル依存、家庭内不和、絶縁、職場の対人的摩擦、非行や犯罪さえ他人事ではない。
人々は孤独で傷つきやすく、どこか空虚さを抱えて生きている。必死に、何かに没頭することで、自分を紛らわしている人も、没頭することをやめたら、空虚さが頭をもたげてくるのをひそかに恐れている。
人と人とのつながりも、昔ほど確かなものではなくなっている。孤独や空虚に悩む一方で、対人関係に傷つけられることが多いと感じている人も少なくないだろう。本当は、人を求めているのに、うまくつながれないと感じている人や、愛したいのにうまく愛せない人もいるだろう。人と人のつながりにくさが、余計、現代人の生きづらさや日々の不安や不愉快さを増しているように思う。
なぜ、こんなにも人と人と関係が難しく、社会が住みづらい場所になってしまったのだろうか。一体、人々の心に、何が起きているのだろうか。
こうした生きづらさや社会に蔓延する問題の背後には、実は、ある共通する原因が垣間見えるのである。それは、現代人の間に広く浸透しつつある「パーソナリティ障害」という問題である。逆にいえば、現代人全般が抱えている傷つきやすさや空虚さ、生きづらさは、このパーソナリティ障害を理解することで、その本質が見えてくるのである。

職場や家庭、友人、恋人にも

パーソナリティ障害は、自らも苦しむと同時に、周囲を巻き込みやすいという性格を持っている。パーソナリティは、単なる個人の「性格」に留まるものではない。対人関係のパターンや生き方そのものとして現れることで、人とのつながりや、さらには社会のあり方にも影響するのである。
最近連日のように報道されている児童虐待にしろ、ストーカー犯罪にしろ、些細な理由で親子が殺し合う事件にしろ、そこには一つの共通項がある。それは、思い通りにならない他者を、別の意志と感情を持った存在として認められないということである。その人の心に、本来の意味での他者との関係が育っていないため、自分の思い通りになる存在だけを愛し、思い通りにならない存在は、攻撃の対象になってしまうのである。こうした独りよがりな他者との関係は、本論で述べるようにパーソナリティ障害の人の一つの特徴である。
頻繁にこうした事件が報道されているということは、そういう問題を抱えて人が増えているということに他ならない。
目を引く事件だけではなく、もっと身近な家庭や対人関係の問題、学校や職場への不適応の問題の背後にも、パーソナリティ障害がしばしば潜んでいる。パーソナリティ障害の別の特徴として、過剰な自分への期待と、それゆえに生じる傷つきやすさを挙げることができる。最近、社会問題化している「うつ」や引きこもり、依存症、ギャンブル中毒などにも、こうしたパーソナリティの問題が隠れていることが多い。うつにしろ、引きこもりにしろ、依存症にしろ、バランスの悪いパーソナリティが、無理な生き方をしてきて、あるいは、そうすることを強いられて、その結果として陥っている面もあるのだ。
しかし、そういう視点がないと、何が起こっているのかさえ理解できず、対処を誤ったり、問題をこじらせてしまいやすい。パーソナリティ障害という新しい目をもつことで、今、あなたに、そしてあなたの周りの人に起きていることの性格が見えてくるだろう。そうすることで、ただ苦しさやつらさでしかなかったものの性格がわかり、対処しやすくなる。また、方針を持って接したり、手を差し伸べることができるようになる。
ところが、パーソナリティ障害について、専門家でさえ、十分な認識があるとはいえない状況である。勇気を出して精神科の門を叩いたのに、パーソナリティ障害(人格障害)は性格の問題なので、出す薬がないといって、追い返されたという話も聞く。表に出ている、うつや不眠、不安という症状に対してだけ、薬を出してくれるが、その基盤にあるパーソナリティの問題については関わらないというのが一般的だ。そこには、医療経済的な理由もあるだろうし、パーソナリティの問題に有効に対処するスキルを持ち合わせていないという現実もある。
医療側の事情などおかまいなく、今日の社会状況は、パーソナリティ障害の問題を無視することができないところまで来ているように思う。表面に出ている問題だけに、いくら対症療法を施しても、根底にある問題に対処がなされなければ、見通しは暗いのである。

正しい認識と対処を

現代人の心が抱える生きづらさや、今、社会に起きている不可解な現象は、パーソナリティ障害について知ることで、よく理解できるようになる。パーソナリティ障害という観点なしで現代を語ることは、電気という概念なしに、雷やテレビの仕組みを説明することにも近いということがおわかりいがだけるはずた。
程度の差はあれ、現代人は、パーソナリティの問題を抱えているといえるし、程度が重く、社会生活や日常生活に難しさを感じている人もどんどん増えている。みんな自分をうまく生かす生き方が見つけられずに、迷路に陥っている。うまく人とつながれずに、孤独の中で身を縮めていたり、人間関係の中で空回りして、へとへとにくたびれている。
どうすれば、自分をうまく活かせる生き方ができるのか。どうすれば、もっと楽に人とつながれるのか。
そのためには、まず自分を知ることである。そして、相手を知ることである。パーソナリティについて理解を深めることは、自分に合った生き方や人とのつながり方を知る助けになるだろう。自分に合わない生き方や人間関係のスタイルをいくら追及したところで、結局うまくいかないだろうし、迷路に入るだけだ。また、相手のタイプを見極めずに、自分の流儀を押しつけたところで、成果は望めないし、下手をすれば、ひどく嫌われてしまったり、思わぬ攻撃を受けたりしかねない。
本書は、単なるパーソナリティ障害の解説書ではない。実際に、そういう問題を抱えている人や、身近にそういう人がいる場合に、克服や援助の際にポイントとなる点を具体的に記している。これは、私自身が、多くの患者さんとの関係の中で学んできたことであると同時に、私自身の人生から学んだことでもある。したがって、精神医学的な観点から書かれた生き方術の本でもある。
私自身、人はどう生きるべきか、どうすればその人自身を活かせるのか、本当の自分、本当の幸福に出会えるのか、ということを幼い頃から考えてきた。それは多分に、余り幸福とはいえない人たちの中で育ってきたせいだろうが、そうした中で、私自身の人生も、必然的に翻弄されたものであった。
私は、先人の知恵にその答えを求めようとして、文学や哲学や心理学を学んだ。私が最初、専門分野に選んだのは哲学だった。思索や抽象的な思考の世界に魅了されつつも、その一方で、そうした世界にだけいることが、本当に生きることではないと思うようになった。体の良い現実逃避に思えてきたのだ。当時の私は、二年ほど、ろくに日にも当たらずに、すっかり引きこもった生活をしていた。もっと現実の中で多くの人と出会い、本当の人生を生きたいと思うようになった。
医者になる決心をして、当時、哲学科の主任教授だった山本信先生のところに恐る恐る挨拶にいくと、叱られるのかと思っていたのに、「それは、よかった」と手放しで喜ばれたので拍子抜けした。影も姿も見せない不詳の教え子の行く末を、案じてくださっていたのだろう。
長い学生生活の末、私が医学を卒業し医者になったのは、二十七歳のときである。まだ遍歴癖がなおらなかった私は、九州の精神病院に赴任した。意外にも、そこで私は師とする人物に出会う事となった。精神療法の大家、神田橋條治先生の門下である柴田史朗先生である。
お会いした瞬間、私は、この先生のようになりたいと思った。包むような暖かさとともに、深い英知と精神性を湛えた、不思議な雰囲気を持っていらしたのだ。柴田先生は、論文や研究といったことは嫌いで、患者さんを診ることに無上の喜びを感じるタイプの精神科医だった。私は、柴田先生から、精神療法の手ほどきを受けた。今も、私の診察スタイルや患者さんとの接し方の基本は、柴田先生から頂いたものである。
その後、関西に戻って、臨床医として働く傍ら、母校の大学院に通って、精神医学、神経生物学の研究に携わり、林拓二先生、大森治紀先生、姜英男先生にご指導を受けた。その間も、私の根底にある問題意識は同じでありパーソナリティ障害に苦しむ患者さんや、先人の業績や人生から私なりに学び続けた。
そうした私にとって、十年ほど前から医療少年院で仕事をするようになったことは、大きな転機であった。そこで私は、重いパーソナリティの問題を抱えた子供たちに、大勢出会うこととなった。子供たちは、どの子も劣らず重いものを抱え、二十年に満たない時間の中で、無残なほどに壊されていた。だが、同時に、若さゆえに大きな可塑性を持ち、目をみはる成長や変化を示すことも、しばしばだった。医療少年院のケースは、パーソナリティ障害のごく初期の段階にあるものとしても、また、それゆえに治療の可能性を示すものとしても、非常に貴重なものだった。人は、与えられた環境によって、壊されもすれば、生かされもするということだけでなく、人は躓いても立ち直っていきるということを、私は、子供たちから教えてもらった。

本書は、多くの人から私が学んだことのエッセンスをまとめたものである。説明的にならずに、できるだけイメージ豊に理解してもらうために、具体例を豊富に採り入れた。今回は、子供のケースは一部に留め、幅広い年代のケースを扱っている。一般人のものもあれば、有名人のものもある。極端な例から、卑近な例まで幅広く収録し、ポイントを理解する助けになるように努めた。なお、臨床例については、プライバシーを守るため、設定の変更を施してあり。実際の例をヒントにしたフィクションと考えて頂きたい。
また、巻末に「パーソナリティ自己診断シート」を付録としてつけた。これは医学的な正式の診断基準に準拠して作成したもので、簡単な質問に答えることで、パーソナリティの傾向を知り、パーソナリティ障害のスクリーニングを行えるものである。実際に使ってみれば、なかなか優れものだということが、おわかりいただけるだろう。ご自分や身近な人の傾向を客観的に知る助けとなるとともに、本書で述べている内容を、されに実感をもって理解できることと思う。

本書では、理論の為の理論ではなく、実際の臨床経験の中で得た経験知や人生の知恵を伝えることを重視した。そのほうが、本当の意味で役に立つと考えたからである。
多くの人生の失敗と成功から、自分に合った生き方を学んでくれたら幸いである。また、身近に困っている人がいる場合も、接する際の参考にしていただけたらと思う。
パーソナリティ障害は、一方で、苦しさや困難を引き起こすが、同時に、大きな力を生み出す可能性を秘めている。その人に合った生き方を選べるかどうかが、運命の分かれ目となるだろう。