どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

コメントへの返事です

id:aozora21さんへ

んーと。あまり私の伝えたい事が伝わっていないように思えます。

恐らく、問題意識の置き所が随分違うんだと思います。実名と匿名の非対称性は、ものごとを「ややこしく」しているとは思っていますが、それは、「どちらに有利」かという話ではなくて、同一の価値では計れないものが、一緒に「あってしまう」から、不要に対立が深まってしまう面があるなぁと思っていたので、丁度いいから――筆者とぶコメの温度差がそれをよく表しているように思えたのです――書いた訳で、どっちの方が有利かどうかは、状況次第じゃないかと思います。

「ひっくり返す」と書かれていますが、私個人は、勝ち負けよりは、「ずっとついて廻る」事の方が重いと考えています。もし仮に裁判で勝ったとしても、その名前で今後も活動する限り、裁判沙汰はついて廻ります。一方で、匿名には、捨てハン、多重アカウント、別名でのやり直し、過去ログ全消去等等、リセット(も、工作も)はとても簡単です。リスクの大きさの違い、てのはそんな事を考えての事でした。

#たまたま、と言うかここんところは、結構その事(=匿名・実名)に関して考える事が多くて、そんな中で、小倉先生のエントリーとレスポンスの「落差」ってすごいよなぁ、とか思っていたのです
#小倉先生はエントリーでは、かなり紳士的で常識的な一般論が多いのですが、(コメ欄に見える)レスポンスでは、殆ど悪意を感じるぐらい恣意的な解釈をした上で、攻撃的な反論をしているように(私には)見えたのです。
#「賢くない親」をダシにするな(コメント欄)

うちら(匿名者)は、心が傷つくだけで済むけども――これが重要だと言う考え方の方もいらっしゃいますし、不要に軽く見積もってはいけない事ではありますが、私個人は(青空さんはご存知かと思いますが)、これまでずっと、その事にはウエイトを置いていません。生き死にの問題の「先の事」は個別具体的に当事者が考える事だと思っています。――実名の方は、生身でずっとその負債を負っていかなれけばならないのだから、「切実度」が違う、と言うのが今回言いたかった事のキモです。

ウェブ上の情報の質の問題と今回の件との関わり、てのはよく分らないのですが、データを示せ、と書いてあった事なのでしょうか?エントリーそのものが、何か社会的な「告発」めいたものでは無く、主観的な印象を述べたものなので、データは必ずしも必要だとは私は思いません。根拠が薄弱だったならば、書かれたものの説得力が落ちると言うだけの話だと思います。

#私に関して言うならば、そうそうそれだよ!と膝を打つこともなければ、おおっそうだったのか!と眼から鱗が落ちるような発見も無かった訳ですが、それだけの事だと思います
実名でも不特定多数の読者を想定して記事を書くより、ある程度同じ志向を持った人を集めて交流したりオフ会をしたり密なコミュニケーションが主体となってくるのではないでしょうか。
そうなると、同じ志向の仲間以外の評価や評判は気にしなくてよくなります。同じ主張の人が集まればいいわけですから、こわいものはありません。

これは、ニッチなニーズを集めると言うひとつの商売の方法で、この頃流行のロングテール(笑)ですよね。「こわいものはありません」が、よく分らないのですが、コミュ内で仲良くやってる分には問題ないんじゃないですか。

はてなユーザーの事はちょっと分りません。自分もはてなユーザーだけどもw、罵倒とか嘲笑とか、まだされた事がないから実感がないって部分があるとは思いますが、これは、(私には)はてな固有の問題に見えます。構ってもらいやすいからこそ叩かれやすい、みたいな。

リンク先を読むか読まないかで一番大きいのは、興味のあるなしで、読み手の「都合」に一任されます。リテラシーは関係ないと思います。



主観バリバリを承知の上で申し上げますと、今回の件もこれまでの件も、私には、どちらも被害者意識が強過ぎるように見えていました――なんと言うか、どちらも傷ついたら「負け」と思ってるかのように見えました。それって勝ち負けの問題じゃないし、とは思っていましたが、(当然)私が勝手に思っていただけの話で、単なる印象です――。青空さんは、私は無関係ではない、と、突拍子もなく(と、私には思えました。)前のコメ欄を出すし、一方の大野さんは終わったことと言いながら、ずっと追っていたような様子があるし。やっぱケンカしたらどっちも傷つくもんなー、とか思っていました。

#かくいう私は、どっちもずっと追っていました(大野さんはのがみんさんの揉め事の辺りから)。嫌なおちゃです。今も昔も一番好きな板はヲチ板です。
#発言小町も愛読していましたw

私の前のエントリーのコメント欄でもその事について書かれていましたが、(実は)敢えてスルーしました。元になっているエントリーでは元々はAntiSepticさんへの反応だった、とあったからです。

もしも、滝沢さんの所のコメ欄で書かれていた事が元になっているので、この歌に関する解釈を問題にするのならば、先ずは、滝沢さんに滝沢さんが考える「世界でひとつだけの花教」の定義を聞かないと始まらないなと思います。

ちょっと長くなりますが、その理由を以下に書きます。

pbhさんの説明で、「肥大した自己愛の象徴」としての「世界でひとつだけの花」との説明がありましたが、これだけだと単なる「勝手ネーミング」であって、それが「世界でひとつだけの花」である必然性はあまり感じられませんでした。しかも、その後、pbhさんが語られた文章からは、青空さんが言っていた意味での存在価値は、微妙に競争社会の中での社会的価値からの「逃げ場所」的な捉え方に置き換えられていて、(私には)青空さんの言っている意図を正しく受け取っているようには見えませんでした――だけども、コメ欄ではお二人は何だか意気投合していたので、私の勝手読みだったのかもしれません――。

#私がイメージするこの2者は、関係性の中で浮かび上がってくる私個人(どうしようもなくオンリーワンな個性)と言う横軸(の、ようなもの)と、私が固有に持つ(かもしれない)可能性(多くの人に認められ得る才能)と言う縦軸(の、ようなもの)で、それがのクロスするところにある「私」には、それぞれに別の方向の悩みや欲望があるので、一方を「逃げ場所」とするのは、違っていると思っている
#だから、「みんなから認められる」のと、「具体的な他者から認められる」のとでは問題のあり様が全然違っているとも思っている

そんな風に既に問題点がずれている様に思っていたら、その後の使われようから、「世界にひとつだけの花教」の定義は人の数だけあるか、そうでないなら、多少なりとも「自己愛」に着地できそうな部分があれば全てを「花教」にしてしまっているようにも見えて、それってなんて「ゲーム脳」?みたいな気分になってしまっていたのです。

#ここで言っている「ゲーム脳」は、あらゆる問題の原因の全てを「ゲーム」に着陸させてしまうような考え方の事で、同じように、あらゆる問題の原因を全て「自己愛」に着陸させてしまう状態を、「世界で一つだけの花教」と呼んでしまった方が、いっそ分りやすいよなー、てな気分になっていたのです。
#前にも書きましたが、多少なりとも「定義」と言えるようなものを示していたのは、私が読んだ範囲内ではAntiSepticさんだけで、青空さんが示したコメント欄を読んでみただけでは、滝沢さんが言うところの「世界でひとつだけの花教」と言える様なものは、具体的には示されていないように思えました。
#滝沢さんが「全部繋がっている」と言われているものの共通点と思えるものから類推すると、「現状を根拠なく肯定する」状態なのかなぁ、とか思いましたが、そうじゃなかったのかもしれません。
#もっとも、私個人は、実害がないのならば、それ(=現状を根拠なく肯定する事)は、愚者が選びうる一つの賢い選択じゃないかとも思えて(たぶん、そうした方が色んな意味で人は生き易くなると思う。少なくとも、悪い宗教とはあまり思えない)、もちろん程度問題ではありますが、程度問題に過ぎない、とも言えるように思えます。
#たとえそうであったとしても、個々人に関するぶんには、何ら問題がない事に思えたし、一方で、社会の問題と考えるならば、今に始まった事でもないしなー、とも思えて、だから?の先の方が、私にとってはは興味深い部分なんですが、あまりそういった話は出ていなかったので、あ、そう。て感じでした。

まぁそんな訳で、滝沢さんが考える「世界で一つだけの花教」がどんなもんなのかが分らないうちは、判断のしようがないんじゃないかと私は思います。

一方、もしも滝沢さんの「世界でひとつだけの花教」の意味が、単に「自己愛が肥大化した状態」だと言うのであれば、その事自体には問題は(当然)ありませんが、あまり説得力が無い上に、随分と乱暴なラベリングだなぁと私は思います。

で、話を匿名実名及びお二人の揉め事に戻します。どちらも不器用だなと思っていました。

私は、匿名性てのは「顔が見えない」状態だと思っています。私達は任意のnである、みたいのが匿名性だと考えています。

で、匿名性があるから、うちらは(ある意味)裸になれるような部分があって、顔を出して服を着た状態じゃ聞けないようなホンネが聞ける(≒言える)部分に私は魅力を感じています。

一方で、実名てのは「顔が見える」状態でありまして、大抵の実名の方は、顔が見える状態だと「服を着ている」ように思います。

が、時々、「顔が見える状態で裸」の人が居ます。私には、自称ありのままのダンコーガイさんよりも、自分の性癖さらしたらめぇの人よりも、大野さんの方がずっとずっと裸に見えます。一方で、青空さんは、顔が見えない状態であるにも関わらず鎧を着ようとしてるのだけれど、あれこれ借り物の鎧を探すけれども着方が分らず、結局裸になっちゃってる、みたいな(あくまで私個人の印象です)。

#そんな訳で、どちらに対しても、勝手にハラハラしています。(超大きなお世話。しかも何か出来たりやろうとする訳ではない)
#大野さんにとっては不本意かもしれませんが、今回――も、そして前回も――、(一般人よりは)知的な(はずの)方の言動だっただけに、かえって構造的無知って、こう言う事なんだなぁと思わせてもらえるものがあって、私にはとても勉強になりました。
#青空さんがおっしゃりたかったような事は、sho_taさんが、とても丁寧に、且つ粘り強く話されているように(私には)見受けられますが、残念ながら、もひとつ通じていないように見えます。
#一方で、実は、前の時の滝沢さん達が感じたイラダチは、私には、とてもよく分るものでした(その後の行動はあまり感心したものではありませんでしたが)。
#細かい事ははしょりますが、「書いてない事」を勝手に読むな、と言うのなら、「書いてる事」にはもうちょっと責任持って欲しいし(そんなつもりじゃなかった、みたいな後付けが少々多すぎるように思えます)、一方で、「察して」欲しいのならば、書いてない事を勝手に読み取るしか方法はない訳ですよね。どんな罠よw。難しい事を言える(≒知っている)かどうか以前に、これじゃ対話はむちゃくちゃ困難になるはずです。
#回避策を一つ提案しますと、「異なる内容を含む長文」のコメントを控えて、チャットぐらいの短文のやりとりにした方が、論点が拡散したり、はるか明後日に行ってから戻ってくるような事は少なくなるんじゃないかと思います。後、箇条書きとか。

さて、今回、大野さんの意見から最も大きく聞こえてきた、と私が感じていたのは「私は決して[間違った事]を言っている訳ではない、と言う事でした――ひとつの見方を示した、と言う言い方はすごく「卑怯」は言い過ぎとしても、かなりの「後退」だと(私には)思えました。悪しき平等教育の弊害だと思っているのならば、いっそ押し通せばいいんじゃないかと思えました(どうせ主観なんだから)――そこら辺から、やっぱ実名じゃそれは怖いのかなぁ、そりゃそうだよな、みたいな気持ちを持ったのです。

一方の青空さんは、無名の人の声なき声の「代弁」と言ったスタンスに自分を乗せ過ぎに見えて、私にはどちらにも「で、<あなた>の言いたい事って一体何なの?」が、結局はよく分りませんでした。一般論ならもうお腹イッパイな訳ですよ。少なくとも私は。

今回起きたような論争はもっと高度な状態で、すでに幾つもなされています。オンリーワンを称揚する。それに「世界でひとつだけの花症候群」と名付けて、リニューアルしたようなものだったのならば、もういいよ、てのが私の気分です。

これまでにない新しさと言えば、その原因を「戦後の民主主義教育に求める」、て部分じゃないかと思うのですが――私は、これまでの論争も込みで、「資本主義」の方が大きいと思っているけど――、それに関する説得力のある説明のようなものは特にないまま、あの歌を叩く事にウエイトが行ってしまったので、これは「悪口による客寄せ」が差しあたっての目標なんだな、と理解しました。(参照:憎しみが生む連帯感)。で、そういう戦略もアリだしなー、と(私は嫌いだけど、それなりに有効な戦略だとは思う)。