どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

第6章 悪を生き甲斐にする人々――反社会性パーソナリティ障害

特徴と背景

他人を冷酷に貪る



反社会性パーソナリティ障害

A.他人の権利を無視し侵害する広範な様式で、15歳以降に起こっており、以下のうち3つ(またはそれ以上)によって示される

  1. 法にかなう行動という点で、社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為を繰り返し行うことで示される
  2. 人をだます傾向。これは繰り返し嘘をつくこと、偽名を使うこと、または自分の利益や快楽のために人をだますことによって示される
  3. 衝動性または将来の計画を立てられないこと
  4. いらだたしさおよび攻撃性。これは身体的な喧嘩または暴力を繰り返すことによって示される
  5. 自分または他人の安全を考えない向こう見ずさ
  6. 一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない、または経済的な義務を果たさない、ということを繰り返すことによって示される
  7. 両親の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり、いじめたり、または他人のものを盗んだりしたことに無関心であったり、それを正当化することによって示される

B.その人は少なくとも18歳である

反社会性パーソナリティ障害の特徴は、他者に対する冷酷な搾取である。反社会性パーソナリティ障害の人は、他人への共感性を捨てるという選択によって、平気で他人を害したり、貪ることができる。他人は裏切るものという認識は、後の章で出てくる妄想性パーソナリティ障害の人にも見られレル。妄想性パーソナリティ障害の人は、信じられないながら、信じようとする葛藤があり、それが、彼らを執着行動に駆り立てるのだが、反社会性パーソナリティ障害では、もはや「信じる」という言葉は、彼らの辞書から消されてしまったかのようだ。
たとえ相手が裏切っても、決して傷つくことがないように、彼らは最初から人を信じない。裏切られるよりも先に裏切り、自分を信じている相手であれ、金のために平気で売り飛ばす。平然とそうすることができる自分に、彼らは強さを感じ、満足する。
他者を害する事を躊躇したり、情けをかけることは、格好が悪いことである。心など、子供のうちに捨て去ったのだから。
こうした人物にとって、恋人も友人も、利用し、搾取する対象でしかない。恋人に売春させたり、風俗で稼がせている間、自分はギャンブルをしたり、他の女引っ張り込んだりということは、彼らにとっては、ごく日常的な光景である。
彼らは純情で、カモになりやすい女性を見つけては、巧みに近づいていく。
「女は金を取るための道具だ」と、はっきりいう者もいれば、口先では愛しているといいながら、行動を見れば、同じことをしている者もいる。だが、本質に違いはない。
彼らの価値観から見れば、結婚し、一人の女性を守り、会社に縛られて、ぺこぺこと上司や顧客に頭を下げる人生など、愚の骨頂にしか思えないのだ。そうした日常的な市民の価値観とは、全く逆のところに棲んでいるのである。彼らは、結婚も愛も、本当には信じていない。仮にそうした行動を行ったとしても、それは一時の気まぐれが、相手を信用させ、利用する為の行動にすぎない。
恋人であれ友人であれ、簡単に裏切ってしまうのは、いうまでもない。自分の利益に反したり、プライドを傷つけられたりすれば、昨日まで愛を囁いていた相手さえ、ボコボコに殴り、滅多刺しにできるのが、彼らなのである。彼らの日常も愛情も、極めて危ういバランスの上で成り立っている。
このタイプはやはり男性に多く、ある調査で示された有病率は、男性で三%、女性で一%であった。

タブーなき人々

反社会的パーソナリティ障害の人のもう一つ重要な特徴は、社会的な規範や通年を軽視したり、時には敵視することである。法律を無視することにある種の快感を覚え、そこに自分の強さや存在を実感する。アウトローな生き方に自分を同一化することに、プライドを感じている場合もあれば、それほど明確な社会への対抗意識は持たずに、ただ場当たり的な欲求満足のために、犯罪を犯したり、他人を不当に搾取する場合もある。
人間社会は、基本的なタブーを犯さないことを前提に、成り立っている。タブーとは、人間としてしてはならないことであり、社会に生きる者の最低限の掟である。
反社会性パーソナリティ障害の人は、そうしたタブーの観念が育っていないか、壊れてしまっている。タブーは、一度それを破ると、タブーとしての抑止力を失っていくのである。いったんタブーの外に出てしまったものは、また容易に、タブーを破ってしまう。そのことの怖さに気づいて、タブーの中に戻ってくる者も少なくない。
タブーの外は、まるで無重力空間にいるような怖さがある。タブーの外に暮すことは、タブーが守ってくれないことをも意味する。そこを永住の地にすることは、そんなに楽なことではない。必ず、タブーを犯したしっぺ返しが来るのである。それは、外面的な安全や損得の問題だけではない。もっと根本的な魂の問題だ。人間としてのタブーの重みは、人間の魂の奥底から呪縛し、それに背いた者の心を冒し、蝕んでいくのである。
こんな話を、元刑務官の人から聞いたことがある。凶暴なことで知られていた、ある暴力団の組長が、命乞いをする男を射殺した。最初は、全く後悔の欠片もなく、相手の裏切りに原因があるのであり、自分の行動を正当化するばかりであった。だが、刑務所に収監された頃から、様子が変わってくる。毎晩のように、殺された男が夢枕に立ち、組長は激しく魘(うな)されるようになるのである。組長はみるみるやつれ、形相が変わり、とうとうある日、自ら命を絶ってしまったのである。

否定されてきた人生『復讐するは我にあり

反社会性パーソナリティ障害の人は、その由来から大きく二つに分けられる。小学校の頃から、手のつけられないヤンチャ坊主で、すでに問題行動が頻発している場合と、子供の頃は問題なかったのに、青年期に入ってから、犯罪に走り出す場合である。
前者の場合は、落ち着きのない、がさがさ子供であるため、そのことが周囲から理解されずに、虐待やいじめを受けていることが多い。あるいは、親や教師あからも、常に、問題児扱いされて育っている。子供時代から抑えられ続けてきた、長い、不信の歴史を背負っている。心の中に激しい怒りを抱えており、それを、親に向けることができずに、やり場のない怒りを社会に投影しているのである。
彼らにとって、人生は、心に受けた傷の、終わることのない復讐であり、裏切りと、搾取、破壊を重ねていくのである。その根底には、長い年月にわたる不幸な体験によって築かれた、強い人間不信がある。
今村昌平監督の『復讐するは我にあり』は、佐々木隆三の小説を映画化したものだが、まさにそういう人物を描いたものである。緒方拳演じる主人公の榎津は、九州、浜松、千葉を渡り歩きながら、搾取、殺人の犯行を重ねていく。そして、自分を庇おうとする母娘までも手にかけていくのだ。庇護者さえも信じることができない、救いのようのない人間不信は、どこから由来するのか。作品では、彼の子供時代のある体験にその理由を探り当てようとしていた。榎津の父親は敬虔なクリスチャンで、戦争に反対していたが、網元であったため、船を提供するようにとの軍の圧力を受ける。軍人からの暴力に屈して、提供に応じた父の姿を見て、榎津少年は深く傷つき、そのとき味わった失望と怒りが、彼を父親や神に背き続ける行動に駆り立てていったと見るのである。
コフート流にいえば、親の理想像(イマーゴ)が現実の親によって、強い失望を味わい、健全な超自我の形成に失敗したということになる。
父なる存在への失望と反抗というテーマは、ある意味で思春期に共通する課題であって、反社会的な人間に限ったことではないのだが、反社会性パーソナリティ障害などの重いパーソナリティ障害では、それが思春期に決着を見ず、生涯ひきずられる点に大きな不幸がある。父親への反抗の背後にあるのは、実は父親の愛情と承認を求める気持ちでもある。
死刑判決を受けた後、最後の面会で、榎津が父親に、「こんなことなら、お前を殺しておけばよかった」と語った言葉が印象に残る。でも、榎津は、大勢の無辜(むこ)の人を殺めても、父親を殺さなかったのだ。それは、何を語っているのだろう。
このケースの場合も、根本にある不幸は、軍に屈した父親への失望よりも、父親が本人の行動の背景にある気持ちを汲まずに、父親の偽善的エゴを押し付けたことにあるのだと思う。反抗的になる子供を無理やり神学校に預けたり、本人を拒否し、独善的な押しつけを続けたことが、息子を父親が望んだものとは正反対なものにしてしまったのだ。
池田小学校の児童殺傷事件で死刑判決を受けた宅間守も、強い「復讐」心に囚われていたが、そのダイナミズムには、父親との関係を感じる。
犯行後、インタビューに応じた父親の言葉が報道されたが、他人事のように息子を責める発現に、あっ気の取られた方も少なくなかったはずだ。
こうした「復讐」型の犯罪の場合、しばしば次の章で述べる妄想性パーソナリティ障害が合併している。宅間の場合も、伝えられる事実から推測すると、極度に疑り深く、嫉妬深い妄想性パーソナリティ障害の存在が指摘できる。両者が同居して見られる場合、危険な他害行動走りやすいといえる。

接し方のコツ

否定的な見方に敏感

反社会的パーソナリティ障害の人は、生まれてからずっと否定され続けた人生を歩んでいることが少なくない。だから、できるだけ否定的な対応を避けることが原則になる。不信を心に抱いて接したら、相手もこちらひ不信を抱く。だから、あらゆる先入観をできるだけ排除して、ニュートラルに接することが基本である。
ただし、それが口でいうほど簡単ではないのは、反社会性パーソナリティ障害の人は、しばしばこちらの本心を見透かすように、あるいは試すような挙に出ることがあるためである。
反社会的パーソナリティ障害の人にとっては、通常の人がストレス状況と感じるような緊迫した状態が、むしろ快適に感じられるため、一種の気晴らしや、ムシャクシャした気持ちの発散に、相手かまわずこうした言動に出ることがある。それは、挑発であると同時に、テストでもある。そうすることで、相手の度量を推し量っているのだ。そこでプライドを傷つけられ、怒り出して、感情的な言葉を投げ返したりすれば、本人の手に乗ってしまったことになる。そうした挑発で簡単に過剰反応する者は、彼らの軽蔑の対象となる。もうキレてやがると鼻で笑われて、それ以上の関係は進まなくなってしまう。
挑発に対して、冷静さを維持することが第一関門となる。行動や言葉に反応するのではなく、その背後に目を届かせることが必要になる。
「何かあったのか?」の一言で、空気が変わることは多い。
「別に」「関係ない」という拒否的な言葉が返って来ても、めげずに、根気よくやり取りを続けていると、心がほぐれ出す。
挑発に乗らないことで、信頼関係は少しずつ築かれていく。それには、忍耐と受け止める度量が必要とされる。

受容体験と無常感

反社会性パーソナリティ障害の人が変わり始めるきっかけとしては、二つの契機があるように思う。一つは、誰かに自分を受け止められたり、認められるという体験を通して、人と信頼できるつながりが持てるようになるということである。責められると反発ばかりを深めるが、許されると自分の悪に初めて気づくということは、反社会性パーソナリティ障害の人にも、当てはまるのである。無論、そうした改心が、たやすく起こる訳ではない。許されても、得をしたと思うだけに終わることもあるだろう。
だが、人間は欲得だけで生きているようでも、実はそれだけでは生きられない生き物なのである。それは、人間が限りある命を生きる、死に向かう存在だからであり、その事実の前では、責任転化も強がりも通用しないのである。改心が起きるときというのは、一種の無常観が、その人の心の鎧を剥ぎ取ってしまうのだと思う。これがもう一つの契機である。
反社会性パーソナリティ障害の人が、反社会性の鎧を脱ぎ捨て、社会の枠組みの中に戻っていこうとするきっかけを見ていくと、こうした受容体験と無常観が鍵になっていることが多い。こうした体験によって、すぐに行動を変えるというより、次第に心の深くに浸透して時が満ちるのと、熟柿が落ちるように、彼は生き方を変えるのである。
無常観を味わう体験としては、身近な人の死が一番多いだろう。仲間や恋人、あるいは反抗していた父親や家族の死が、その人の他罰的な見方や恨みを、自分自身を振り返る眼差しに変えるのだ。そして、自分が犯してきた過ちを初めて悟るのである。無常観を得るためには、ある程度の精神的な成熟が必要なことはいうまでもない。多くは中年に差しかかって、その境地にだどり着くのである。
『女盗賊プーラン』で知られるプーラン・デヴィは、インドの低いカースト<マッラ>階級に生まれた。無学な父親が、ずる賢い伯父一家から、土地、財産を騙し取られたため、貧困と憎悪と人間不信の中で育った。彼女が幼いうちから学んだことは、警察も役人も金を持たない者の味方ではないということだった。プーランの前半生は、虐待と暴力の歴史だった。十一歳で、人身売買同然の結婚をさせられた彼女にとって、夫と名乗る男の男の性欲の捌け口にされることは、悪夢のような虐待に他ならなかった。夫の欲求に応じないと、殴打の雨が降り注がれた。
婚家から送り返されたプーランは、親からもお荷物扱いされ、次第に村にも居場所を失っていく。当然なことを主張しただけで、見せしめのレイプ、中傷がなされ、その挙げ句に、根も葉もない濡れ衣を着せられて警察に連行される。腐敗した警察は、取り調べと称して、彼女に恥知らずな行為に及ぶ。身も心もずたずたになって、やっと保釈されたプーランを待っていたのは、村人たちの冷たい白眼視だった。そして、運命の日がやってきる。プーランは、盗賊団によって誘拐されたのだ。
プーランにとって、それは自ら望んだことではなかったし、盗賊団の首領バブーは、プーランを今までの男どもと同じように物のように扱おうとした。だが、副首領ヴィクラムは、プーランを一人の人間として遇し、ついにプーランを守るために、バブーを倒して自らが首領となる。プーランも、ヴィクラムを愛するようになる。否定され続けてきた彼女の存在は、ヴィクラムという人物によって初めて、肯定され、受容されたのである。
だが、幸せな日々は長くは続かなかった。ヴィクラムは不意打ちに遭い、プーランの見ている前で凶弾に倒れる。プーランは復讐のために、自ら盗賊団を率いて、村を襲う。上位カーストの者を二十名以上も血祭りに上げたのである。躍起になって捕らえようとする警察の大包囲網を引っ掻き回して、民衆の喝采を浴びる。しかし、長い逃亡の末、配下を失ったプーランは投降する。
プーランの前半生は、怒りと復讐に駆り立てられたものだった。だが、十一年の刑務所生活から解放されたとき、彼女は、復讐に生きることをもはややめていた。プーランは貧しい民衆の支持を受け、国会議員として、合法的に社会に尽くす選択をしたのである。
愛するヴィクラムの死や、相次ぐ仲間の死は、彼女の心に、直接的には復讐心を掻き立てる結果になったが、長い時間のうちに、それは別の感情に変わっていったようだ。プーランは獄中で仏教に帰依した。彼女の中には、無常感が芽生えていたように思える。復讐への囚われが、いかに無益であるかということを、彼女は、自らの悲しい体験と十年に余る拘束された生活の中で悟ったのだろう。
だが、運命はプーランに平穏な人生を許さなかった。二〇〇一年七月、衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。プーランが国会からの帰途、武装グループに襲撃され、その体に二十五発の弾丸を浴びて暗殺されたのだ。血と復讐の連鎖は、けっして彼女を解放してはくれなかったのである。
克服のポイント

武蔵という生き方

反社会性パーソナリティ障害の傾向を持つ人は、危険な感覚を自分から求めてしまう。そうした危険を求める衝動を、社会化したルールの中で、いかに満たすかが、その人が反社会性という悪の誘惑を防ぐことができるかを左右する。反社会性パーソナリティ障害の人は、危険に対して不安を感じにくく、常にそうした興奮を求めずにはいられないということが、生理学的にも証拠立てられている。
そうした傾向を無理に抑えつけようとしても、うまくいかない。反社会性パーソナリティ障害の素質を持ちながら、社会で合法的な成功を収めるためには、命知らずで、危険を求める傾向を、うまく満たし、さらには活かすことだ。
あらゆるパーソナリティ障害は、重荷にもなれば、特性をうまく伸ばすことで、社会的にも活用することもできるのである。
格闘技や武道、レーシングスポーツ、マリンスポーツ、スカイダイビング、ハンティングは、そうした衝動をかなり満たすことができるだろう。それを職業にできれば、それに越したことはないが、趣味であってもよいのだ。危険を伴うとび職や建設現場の仕事も、充実感をもたらす。パイロットは自衛隊員をめざすのも、そうした衝動を昇華する方法であろう。
宮本武蔵は、自分の中にある反社会性パーソナリティ的な要素を、剣の道に昇華した人だといえる。彼が剣の道を究めなければ、あるいは、悪の道に染まっていたかもしれない。彼の戦いは、極めて不利な状況に勝利を収めたものであったが、どれも、勝つためには手段を選ばない特徴を示してもいる。フェアプレーぎりぎりのところに、彼は活路を見出した。
だが、その宮本武蔵も、巌流島で佐々木小次郎を殺したことを、生涯後悔したという。小次郎の殺害には、政治的な陰謀など諸説があるが、巌流島の決闘以降、武蔵が決闘を極力避け、自身の兵法を、力の戦いではなく、心の鍛錬に重きを置くように変えていったこごは疑いない。武蔵は、書や水墨画といった芸の道にも、境地を開いていった。単なる剣術使いではない生き方に目覚めたことが、武蔵をいっそう魅力的な存在に高めていると思う。
その人の中の危険な衝動性が克服されるにつれて、それは美を愛でる心や、弱者をいたわる心に変わっていくだろう。

我が子に同じ人生を望むだろうか?

反社会性パーソナリティ障害の人も、本当に愛する人にめぐり合ったときや、子供ができ、その育つ姿を目にしたとき、反社会的な生き方に疑問を抱くようになる。それは、人を愛することに目覚めた証拠でもある。自分自身が法を犯し、命の危険や流血を厭わない人生を選択したとしても、同じことを、愛する弱い存在にも求めようとは思わなくなるのだ。
あの、アル・カポネでさえ、結婚して子供ができたときには、堅気で生きていこうと思ったことがあった。彼は会計事務書で働く有能な事務員となった。だが、その決意は、悪い友人からの誘いで、パーになったが、彼も、自分の人生の最後に最後に何が待ち受けているかを知っていたら、悪魔の誘いを断っただろうか。だが、まだ若かった彼は、甘い誘惑に抗しきれず、アルカトラズ島の独房で朽ち果てることになった。
一流の格闘家たちも、自分の子供には同じ仕事をさせたくないと考える人が少なくない。その道を究めれば究めるほど、そこに潜む危険や怖さをも知っていくようだ。そして、我が子には、同じ苦しさや危険な思いをさせたくないと思うようになるのだろう。それは、ある意味で、そうした人々が、他者への愛に目覚めることによって、自分の抱えている危険なものへの衝動を、卒業したからともいえる。