どうしよう?

推奨されたのではてなダイアリーからインポートした

第2章 パーソナリティ障害はなぜ生まれるのか

遺伝か環境か

パーソナリティ障害の特徴として見てきた、自分へのこだわりや、傷つきやすさや、愛し下手、あるいは、その根底にある自己愛の障害は、どのようにして生まれたのだろうか。本章では、パーソナリティ障害の原因について考えてみたい。
パーソナリティ障害の原因としては、大きく分けて、遺伝的な要因と環境的な要因の関与が考えられる。
最近の生物学的研究は、パーソナリティ障害への遺伝的因子の関与を示す報告を、徐々に増やしている。神経伝達物質ドーパミンの受容体の多型(遺伝子配列の細かなバリエーション)が、新奇性探求と関連があるとされ、また、同じく神経伝達物質であるセロトニンの受容体やトランスポーター遺伝子の多型が、それぞれ衝動性や不安性格と関係があるとされる。ただ、パーソナリティ障害そのものより、新奇性探求のような、パーソナリティの各特性との関連を調べた研究が中心である。
パーソナリティ障害における遺伝的因子の影響の程度を、もっと直接的調べる方法として、双生児研究がある。
ご存知のように、双生児には、遺伝的に同一な一卵性と、遺伝的には、通常の兄弟と同じ程度異なっている二卵性があるが、その違いをうまく利用するのである。
ある研究では、異なる環境で育った七組の一卵性双生児と、同じ環境で育った一八組の二卵性双生児について、境界性パーソナル障害が両方の子供に見られるというケースが二組あったが、前者のケースでは、両方に境界性パーソナリティ障害が認められたケースは一例もなかったという。境界性パーソナリティ障害には、遺伝より環境のほうがが重要であることを示した研究である。
研究によっては、遺伝的影響が比較的大きい事を示唆するものもある。これまでも、失調型パーソナリティ障害などでは、遺伝的な関与が比較的大きいといわれてきたが、最近では、境界性、自己愛性、演技性、脅迫性パーソナリティ障害などでも、遺伝的な影響が比較的大きいとする報告もある。
双生児研究によって推定された、パーソナリティ障害への遺伝的影響の占める割合は、研究によりバラツキがあり、四五〜六〇%で、平均でおよそ五割程度、つまり環境要因と相半ばすると考えるのが、当たらずとも遠からずのようだ。ただし、双生児研究では、遺伝的要因の比率がやや高めに算出される傾向があるともいわれ、同様の方法で求めた、他の数字と比べると一つの目安になる。
ちなみに、同じ双生児研究で推定された、肥満への遺伝的要因の影響は、約五割〜八割、IQは六〜八割程度、高血圧は八割程度、総合失調症も八割。Ⅰ型糖尿病が九割弱とさらえる。それらと比較すると、パーソナリティ障害における環境的な要因の重要さがおわかりいただけるかと思う。
遺伝的な要因は、どうすることもできないし、全体で見れば、百年二百年で変わるわけでもない。にもかかわらず、これほどパーソナリティ障害が、昨今急速に存在感を増しているということは、環境要因の変化によるもの以外の何物でもない。パーソナリティ障害の治療に携わっている多くの臨床家も、遺伝的要因よりも環境的要因の重要さを日々痛感しているのではないだろうか。

  • 注1受容体:神経終末から放出された神経伝達物質を受けてる部位で、特定の伝達物質だけと結合するような構造を持つ。結合する伝達物質の種類により、ドーパミン受容体とかセロトニン受容体と呼ばれる
  • 注2新奇性探求:アメリカの精神科医クロニンジャーは、「新奇性探求:、「損害回避」、「情報依存」、「固執」、「自己志向」、「協調」、「自己超越」の七因子に基づく人格理論を提案した。新奇性探求は、新しい経験を積極的に求める傾向である。
  • 注3トランスポーター:放出された伝達物質は、もう一度取り込まれ、再利用されるが、その際に、運び役率が変わり、神経伝達に影響を与える

「ほどよい母親」と自我の基礎

したがって、以下では環境的な要因について考えていくことになる。ところで、そもそも環境的な要因とは何だろうか。
子供にとっての環境は、大人が感じる環境とはまるで違っている。幼い子供にとって、親が裕福だとか、大きくて立派な家に住んでいるといったことは、余り重要でない。
幼い子供は、たいていの物質的な環境は、そのまま受け入れ、適応する。子供にとって、重要な環境とは、いうまでもなく愛情と保護である。その中で子供は、自分が安全に守られた存在であり、より大きな存在と、しっかりつながっているということを、体と心で身につけるのである。この人格形成のもっとも根幹となる過程は、およそ満二歳までに行われる。
精神分析の泰斗フロイトの末裔でもあるアンナ・フロイトは、ナチスの手を逃れ、父親とともに亡命した先のロンドンで、戦時下の保育所を開設した。ロンドン郊外のハムステッドの保育所には、空襲の激化とともに、大勢の幼い子供たちが預けられた。アンナは、そこでの精緻な観察を残したが、乳幼児期に親から引き離された子供たちが、どういう影響を受けるかという貴重な記録となった。
その中で、アンナは、トニィという子のケースを報告している。トニィは、二歳九ヶ月のとき保育所にくるまでも、父親の兵役や母親の病気のために、あちこちをたらい回しにされて生活してきた。
「(トニィは、)恐ろしいほど人間に無関心になってしまったことがわかった。顔立ちは非常に良いけれども、表情がなく、たまに作り笑いをするぐらいである。恥ずかしがることもないし、でしゃばることもなく、自分の置かれたところに平気でいることができ、新しい環境に全く恐れを感じていないようであった。どの人にも区別をつけることなく、誰にもしがみつかず、誰をも拒否しなかった。食べ、眠り、遊び、誰とも問題を起こさなかった。ただ唯一の異常な特徴は、すべての感情が全くないと思えることであった。」(『家庭なき幼児たち』中沢たえこ訳)
トニィは、どの職員に対しても、まったく懐こうそしなかった。今日、愛着障害として知られるものである。アンナが、「氷のような」と呼んだ状態は、トニィが病気になり、他の子供たちと引き離されて、一人の看護婦に付き添われれて過ごすようになって、少しずつ崩れ始めた。トニィは、体温を測るために、付き添いの看護婦に、膝の上に抱かれて、肩に手を回されることを好んだ。「この特別な位置が、明らかに彼に母親の腕の中にいた時の思い出を呼び戻したのである」と、アンナは書き記している。
母親の愛情を失うことによる情緒的引きこもりが、トニィとは逆の形で見られるケースもある。例えば、エベリンという少女のケースである。エベリンは、ことあるごとに感情を爆発させ、発作的に笑ったり泣いたりを繰り返したのである。
その後、早期に母親の愛情を奪われる「母性剥奪」が、子供のパーソナリティ形成に重大な影を落とすことが知られるようになった。今日では、生後一年ぐらいの間に形作られる「愛着」パターンが、その後の対人関係や子育てにも影響することがわかっている。
イギリスの児童精神科医ウィスコットは、章にか医として働く中で、情緒や行動にトラブルを持つ子供が、赤ん坊の頃からすでに情緒的発達に問題を抱えていたことに気づいた。それらのケースでは、母親がさまざまな理由で、子供に全面的な愛情を注げていなかった。ウィニコットは、子供の自我が健全に育まれるためには、彼が「母性的没頭」と呼んだ、子供と一体化した熱中が何よりも必要であり、「ほどよい母親」の愛情と世話によって、子供は自分の存在を、連続性を持った確かなものとして感じられるようになうrと考えた。この「ほどよい」とは、やりすぎないという意味ではなく、幼児の欲求を以心伝心で適切に見たさう、乳児と一体化したという意味である。逆に母親が、人生の出発の段階で、掛け値のない愛情を注げなかったり、必要な共感と「だっこ」を与えられないと、自我の連続性の発達はソコな割り、「本当の自己」とは別の「偽りの自己」に分裂を起こすと考えた。
フロイト派の精神分析バリントは、『基底欠損』(邦訳『治療論からみた退行』)において、従来の精神分析的手法では、改善するどころか、病的な退行を引き起こす症例を報告した。そうした症例では、自我が脆弱で、問題に向かい合い、葛藤するのではなく、依存的な二者関係に陥っていく。バリントはこうした状態を、根本的な障害という意味で「基底欠損」と呼び、乳児の段階で、母親から適切な愛情とケアを受けられなかったことに由来していると考えた。
ウィニコットの「偽りの自己」も、バリントの「基底欠損」も、重いパーソナリティ障害の状態と考えられ、その原因が、人生の最早期の養育にあることを示唆した先駆的な業績といえる。
その後多くの研究も、重度のパーソナリティ障害に苦しむ人が、人生の最早期に、子供に本来与えられるべき愛情と世話が適切に与えられなかったことを示唆している。この時期の虐待や育児放棄は、いずれにしろ、極めて深刻な結果を生む。この時期に無条件に与えられる母親の愛情が、確かな自我の基盤を形作るのである。それが損なわれると、自我自体が極めて脆いものとなり、人とつながることも困難になるのである。

分離−個体化期の障害

乳児期が終息に近づき、よちよち歩きを始めた頃から、子供は次の段階を迎える。およそ一歳から三歳ぐらいまでの期間だ。この間に、子供たちは、徐々に、母親から分離を成し遂げる。この分離がスムーズにいくためには、母親が、子供と見守り、その欲求をほどよく満たしつつ、同時に、徐々に自分の手から離していかなければならない。この母子分離の家庭が、余りに急速すぎたり、逆に母親が手放すのを躊躇したりすると、分離−個体化の過程に支障をきたすのである。
この段階においては、同時に、もう一つの重要な課題が成し遂げられる。それは、「対象恒常性」の発見である。乳児期の子供と母親の関係は、その瞬間その瞬間、部分部分でつながったものである。空腹になればなき、満腹になれば満足する。そういう存在にとっては、空腹を満たしてくれる母親は、「良い母親」であり、満たしてくれない母親は、「悪い母親」である。一人の同じ母親としては、まだつながらずに「分裂」しているのである。こうした関係を、乳幼児の精神分析を行ったメランー・クラインは、「部分対象関係」と呼んだ。そうした関係が、一人の同じ母親とのトータルな関係として受け止められるようになったのが「全体対象関係」であり、その移行が生じるのが、この段階なのである。
ところが、比較的重いパーソナリティ障害では、まさに「全体対象関係」の発達が不充分で容易に「部分対象関係」に後退しやすいという特徴を持っている。「部分対象関係」では、自分の重い通りになれば「良い」人であり、「味方」であるが、思い通りにならなければ「悪い」人や「敵」に容易に変わってしまう。「すべて良い」か「すべて悪い」、「全か無か」の二分法的で両極端な思考や感情の動きを示すのである。
クラインは、こうした状態を、「妄想・分裂ポジション」と呼び、その後発展する自己反省的な「抑うつポジション」と区別した。自らの非を認めることができる「抑うつポジション」は、「全体対象関係」が発達し、相手とのトータルなつながりが産まれることと併行している。
妄想・分裂ポジション」では、悪いことはすべて相手に投影される。これが、パーソナリティ障害の人が示す「傷つきやすさ」や有害な「攻撃性」の本態ともいえる。些細なことでキレて刃傷沙汰や殺人事件になってしまうのも、思い通りにならない理由で、親が子を、子が親を殺してしまうのも、こうした特性のためである。
カーンバーグは、この段階の特徴を持つパーソナリティ障害を、精神病レベルと神経症レベルの境目にあるという意味で「境界性パーソナリティ障害」と呼んだ。これは、今日、パーろなりティ障害と呼ばれるものの大部分を含む概念である。わずかに脅迫性パーソナリティ障害と回避性パーソナリティ障害が、「神経症性パーソナリティ構造」に分類される。境界性パーソナリティ障害は、この段階の課題が十分達成されていないといえる。
母親が子供に安心と満足を与えながら、同時に徐々に分離を図っていくことによって、「対象恒常性」や「全体対象関係」の発達が促されるのだが、さまざまな事情で、その過程が妨げられると、この段階に留まったり、歪な発達を遂げることになる。その原因は母親の病気や死であることもあれば、夫婦仲の問題による生き別れのこともある。母親がいても、母親の側に、子供に愛情が注げない問題や事情を抱えている場合もある。
溺愛されすぎることも、好ましくない影響を与える。子供は、完全に満たされる時期と、次第に小さな傷つきにも耐えられる力を養う時期とがあるのだが、溺愛されたケースでは、母子融合が続いたままとなり、小さな傷つきに耐え、忍耐力や自己統御能力を養う、後の段階が損なわれている。こうした間違った子育てが起こりやすいのは、親や保護者の側に、傷つきや強い不安がある場合が多く、余計子育てをバランスの悪いものにする。
不幸にして、家庭の事情で、実父母が養育することができず、祖父母によって育てられたケースや、本人が病弱で、今にも死んでしまうのではないかと両親が不安を抱えながら育てたような場合、保護者側が、可哀想だと思う余り、肝心の躾の部分を怠るt、後年、とんでもないしっぺ返しを食らうことになる。

自己愛の病

この分離−個体化の段階から四、五歳までの時期が、自己愛の発達にとっても、非常に重要な段階であることを指摘したのは、自己愛性パーソナリティ障害の治療と研究を行っていたアメリカの精神分析医フコートである。フコート以前の考え方では、自己愛は対象愛が発達する以前の、単に未熟な段階とみなされていた。しかし、フコートは、自己愛もまた対象愛と同様に大切なものであり、対象愛と平行して成長していくことにより、成熟した自己愛の形態に発展を遂げると考えたのである。
第一章でも述べたように、自己愛とは自分を大切にする能力である。それがバランスよく育っていると、人は幸福な人生を歩みやすくなる。自己愛が健全に育つためには、親によって自己愛の欲求が適度に満たされながら、同時に、親の助力や支配を徐々に脱していくように導かれる必要がある。その過程が、余りにも急速すぎたり、逆に親が支配を続けたりすると、自己愛の傷つきが生じるのである。
分離−個体化の時期に来ると、乳児の未分化な自己愛は、「誇大自己」と「親のイマーゴ(理想像)」と呼ばれる段階へと発展する。「誇大自己」は、万能感あふれ、何でも思い通りになると思い、絶えず母親からの賞賛と見守りを求める存在である。「親のイマーゴ」は、小さい頃、大抵の人にとって母親がそうであったように、神のように強く、優しく、何でも満たしてくれる理想的な存在である。「親のイマーゴ」は、さらに高度な形態の自己愛である「自尊心」や「理想」に発展していく中間産物である。
コフートは、この「誇大自己」の検事・認証欲求が、親によって程よく満たされないと、いつまでもその人の中に残ってしまい、病的な発達を遂げると考えた。また、「親のイマーゴ」が現実の親によってひどく裏切られると、過度に理想化したものとして存続し、その人を支配し続けることになる。
記憶力のいい方は、自分の子供の頃のことを思い返してみるといいだろう。「お母さん、見て」と、すぐに親の眼差しを求めていた自分を覚えているだろうか。また、神のような存在に思えていた親がいつの日か、現実サイズの、どこか色あせた存在に縮んでいって、親に誉めてもらうことがそれほど重要なことではなくなった、緩やかな失望の過程を覚えているだろうか。それは、まさに、自己愛の成熟の軌跡なのである。今も親を過度に理想化していたり、誉めてもらいと思っているとしたら、その移行が余り滑らかでなかったのかもしれない。
コフートは、自己愛パーソナリティ障害の治療を行う中で、患者の中に幼く万能感に満ちた誇大自己が活発に現れるようになり、患者が鏡のように賞賛を映し返してくれることを求めたり、治療者を過度に理想化することに気づいた。フコートはそれを「鏡像移転」、「理想化移転」と名づけた。それは、幼い頃、親によって満たされなかった自己顕示や自己承認の欲求であり、親を尊敬し、理想の存在として自分の中に取り入れたいという、叶わなかった願望だった。治療者は、誇大自己の要求を満たしながら、徐々により高次の形態の自己愛へと発達を促していく。
だが、幼い誇大自己は、自己反省が苦手であり、思い通りにならないことに対しては、全能感を傷つけられ、「自己愛的な怒り」で反応する。要するに癇癪を起こし、キレるのだ。
こうした状況は、コフート自身が認めているように、クラインの「妄想・分裂ポジション」に相当する。つまり、コフートが「自己愛の障害」という観点から扱っていた問題は、クラインが「部分対象関係」と呼び、カーンバーグが「境界性パーソナリティ構造」と呼んだものと同じ現象に、別のアングルからアプローチしたものだと言える。
実際、コフートが指摘した構造は、他のパーソナリティ障害の治療においても出現する。反社会的な行動をする非行少年においても、また然りである。多くのパーソナリティ障害が、自己愛の病理を抱えているのである。コフートが摘出した自己愛のダイナミズムは、まさしく現代人に急速に広まりつつある心や行動の様式でもある。
このように、パーソナリティ障害を生むもっとも大きな原因は、多くの場合、親(親の不在を含めて)だという現実がある。親が子供に与えてやれるもっとも大切で、かけがえのないものは、自分を大切にする能力だと思う。この能力をたっぷり与えられなかった子供は、さまざまな生きづらさを抱えて生きることになる。大人たちは、そのことを忘れてはらない。
その後の人生での経験も、当然、パーソナリティの形成に影響するが、人生の最早期の愛情と世話の重要さに比べると、その比率は年齢とともに小さくなる。ただし、時には甚大な影響を持つ。喪失体験や挫折体験、迫害体験によって、人柄ががらっと変わることもある。しかし、そうした場合にも、人生の最早期が恵まれない人ほど、後の人生の悪影響も出やすいように思う。

心的外傷とパーソナリティ障害

パーソナリティ障害の病因論に新たな展開が生まれたのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に関する一連の研究からである。
その中でも傑出した金字塔は、ジュディス・ハーマンの『心的外傷とその回復』であろう。ハーマンは、家庭内暴力やレイプの被害者、ベトナム戦争の帰還兵などの臨床記録を元に、PTSDの症状と、そこからの回復の過程を、克明に描き出した。同時に、彼女はPTSDの患者に特徴的なパーソナリティの問題が見られること、また、それが境界性パーソナリティ障害などとして扱われていたことを指摘した。それは、中井久夫氏が指摘する通り、境界性パーソナリティ障害の病因が心的外傷にあるという新たな仮説を提出したことを意味した。
その後、パーソナリティ障害と心的外傷の関係について、多くの研究報告がなされる。図4に示したのは、精神科クリニックに通院中の患者を対象にした研究で、何らかのパーソナリティ障害が認められたケースについて、小児期、青年期に受けた心的外傷体験の有無を質問票で尋ねた結果を示している。結果が示すように、パーソナリティ障害では、全般に高い割合で、外傷的な体験が見られた。中でも、境界性パーソナリティ障害では、他のパーソナリティ障害よりも、身体的虐待や性的虐待が多かった。こうした傾向は、他の報告でも共通している。
身体的虐待は境界性以外にも、妄想性、失調型、反社会的パーソナリティ障害で多く、また性的虐待は、境界性や演技性パーソナリティ障害で、精神的な虐待は、あらゆるパーソナリティ障害で高頻度に見出された。精神的なネグレクト(無関心)は、回避性やシゾイド・パーソナリティ障害に多く認められた。
親からだけでなく、同世代の子供たちからのいじめも心的外傷体験として重要だ。失調型、妄想性、反社会性、回避性パーソナリティ障害などでは、いじぇを受けているケースが少なくない。
ただ、研究が進むにつれ、心的外傷のパーソナリティ障害への関与に、一定の限界があることも明らかになってきた。一般人口を対象にした大規模な調査では、心的外傷とパーソナリティの問題の間には、比較的小さな因果関係しか認められなかったのである。それが意味するところは、多くの子供は、さまざまな逆境に遭いながらも、何とか乗り超えて、大人になる頃には、社会に適応を果たしてきたということである。
その意味で、パーソナリティ障害として不適応を起こしたケースは、重い、あるいは複数の外傷体験が重なったり、養育上の問題や遺伝的要因などの不利な要因を抱えたケースだといえる。ただ、最近のパーソナリティ障害の急激な浸透を、遺伝的要因や養育上の問題だけで説明することには無理がある。そこで、浮かび上がってくるのは、次の項で述べる社会的要因である。

社会が生み出す一面も

パーソナリティが、産まれてから体験したものが積もり積もってでき上がったものだとすると、そうした体験を左右するのは、個人的な要因だけでなく、社会的な要因の関与も大きいといえる。
社会的要因の重要さを理解してもらうには、例えば肥満を例に考えていただければ、わかりやすいだろう。第一章で触れたように、双生児研究で推定された、肥満への遺伝因子の関与は約五〜八割である。だが、ご存知のように、五十年前には、日本には肥満の人は、まだ数えるほどしかいなかった。六十年前には、栄養失調が問題になっても、肥満が死亡の重要リスクファクターになる時代が来るとは想像もできなかった。無論、環境因子が大きく変化したためだが、それは、個々の例が抱える環境というよりも、社会全体が抱える環境の変化なのである。
このことは、パーソナリティ障害についてもいえる。例えば、他人を人様と呼び、人様に迷惑をかけることだけはするなと、口を酸っぱく教える社会と、個性を重視し、自己主張できない人はダメだと教える社会では、当然、パーソナリティの形成にも違いが出る。テレビゲームやビデオインターネットでいつでも一人で娯楽を楽しめることが当たり前の社会と、遊びといえば、子供たちが集まって、一緒に何かをすることを意味した社会では、そこから生み出されるパーソナリティが異なるのは当たり前の話だ。
こうした社会的な環境や価値観の変化がパーソナリティの形成に及ぼす影響は計り知れないほど大きいが、それには、余りにも少ない関心しか払われていない。
今、現代人の心に広がっているパーソナリティ障害は、こうした社会構造や価値観の変化と無縁ではなく、その結果である部分も少なくないのである。
社会の変化を、いろいろな言葉で表現できるだろうが、パーソナリティ障害の観点からいえば、日本社会は、どんどん自己本位になっているといえるだろう。パーソナリティ障害が、根底に自己愛の病理を抱えているとすれば、そのことも頷けるだろう。
したがって、パーソナリティ障害について考えることは、社会がどうあるべきかを考えることにもつながるのである。

背徳狂からDSM−Ⅲの成立まで

その意味で、パーソナリティ障害の診断概念自体が、社会状況から自由ではない。その歴史をたどることは、社会が症状を生み出すと同時に、社会が病名というラベルを与えてきた流れを、振り返ることでもある。
西洋精神医学における「パーソナリティ障害」概念の原型は、一八三五年に、ブリストル癪狂院の医師、プチャードが提唱した「背徳狂(モラル・インサニティ)」に遡ることができる。背徳狂とは、「自然な感情や情愛、性癖、気質、習慣、道徳的な素質、本性的な衝動の病的な倒錯」と定義された。その後も、「変質性逸脱」「道徳痴愚」といった言葉が、一九世紀には用いられた。それらの概念は、ヴィクトリア朝の強い倫理観を反映して、道徳性の乏しさという点を強調したものだった。
正統的なドイツ精神医学の礎を築いたクレベリンは、一九〇五年に、「精神病質人格」というカテゴリーを記述し、それを七つのタイプに分けた。「不道徳」といった価値判断をさしはさまない、客観的な医学的概念と呼べる最初のものである。「精神病質」概念を発展させたシュナイダーは、それらをさらに十のタイプに分類し直した。これが、今日のパーソナリティ障害の分類の土台となっている。
しかし、「精神病質」概念には、予防も治療も困難な素質という意味合いが濃く、主に司法精神医学で、精神鑑定に用いられる用語として活躍した。責任能力を減じ、罪を軽くするという点で、その人を助けはしたが、そうすることで、一人前の人間としては認めないという「烙印」を押すことにもなったのである。それは、本来の治療とは無縁の概念であった。
同じ頃、ウィーンの開業医であったフロイトは、ヒステリーや神経症の研究から出発し、全く新しい精神医学である精神分析を打ち立てようとしていた。当時、フロイトがヒステリーと診断した症例は、今日では、境界性パーソナリティ障害や演技性パーソナリティ障害と診断しうるものが含まれている。
フロイトのパーソナリティにンする有名な理論は、口唇期、肛門期、男根期という発達段階への固着によって、パーソナリティの病理を説明しようとしたことである。ヒステリーや依存性パーソナリティ障害は口唇期に、脅迫性パーソナリティ障害は肛門期に、自己愛せいパーソナリティ障害は男根期に結びつけられる。こうした流れを受け継いで、後にマスターソンは境界性パー祖パーソナリティ障害を口唇期固着によって説明しようとした。だが、重度のパーソナリティ障害には、あらゆる段階の固着が認められることが明らかとなり、こうした分析は次第に放棄された。
けれども、フロイト精神分析治療は、パーソナリティ障害に対してなされた医学的治療の最初の試みであったという点でも意義深い。フロイトの後継者であるバリントコフートは、パーソナリティ障害の治療フロンティアをさらに切り開いていく。
新たな展開が五〇年代末のアメリカで芽生えたことは、時代の必然だっただろうか。敗戦というカタストロフを経験しなかったアメリカは、経済的繁栄と民主主義が爛熟期を迎え、自己本位な空気が強まりつつあった。それは、八〇年代以降の日本の状況に似ていただろう。その頃から、精神病と神経症の境界という意味で「ボーダーライン」と呼ばれるようになった一群の患者が、精神科の病棟やクリニックの診察室で、治療者やスタッフを振り回し始めていたのである。
こうした状態を、カーンバーグが一九六七年に「境界性パーソナリティ構造」の名のもとに理論化したことは、先に見た通りである。ようやくパーソナリティ障害が、治療の現場に本格的に現れたのである。そのことは、パーソナリティ障害が、社会の中で無視できない広がりを見せ始めたたということでもある。その状況は、必然的にパーソナリティ障害の精神医学における位置づけを変えていった。
一九八〇年に出されたアメリカ精神医学会の「SDM−Ⅲ(『診断と統計のためのマニュアル』第三版)」において、「境界性パーソナリティ障害」が初めて一つのカテゴリーとして採用されるとともに、臨床疾患とパーソナリティ障害が、階層を異にするものとして並列診断されるようになったのである。第一軸の臨床疾患に対して、パーソナリティ障害は第二軸が当てられた。これは、パーソナリティの問題が、もはや例外的なケースだけのものではないという事態を反映していた。これによって、例えば、「第一軸診断:パニック障害、第二軸診断:演技性パーソナリティ障害」といった二階建ての診断が可能となったのである。
DSMの操作的な診断基準には、賛否両論があるが、明確な診断基準が共有されることによって、客観的なデータに基づく研究が、加速度的に進み始めたことは多子化だ。ただ、そうした数量化されたデータの間に、大切な本質が置き去りにされないように用心する必要はある。
現在、さらに改良が進み、一九九四年にDSM−Ⅳが出された。本書も、DSM−Ⅳの診断概念、分類に基づいて構成されている。
こうしてパーソナリティ障害が、市民権を得たことは、それだけ問題が身近になっているという証左でもある。アメリカにおけるパーソナリティ障害の有病率は、一〇〜一五%と推定されている。日本でも、それに追いつく日が遠くないのかもしれない。

第Ⅱ部では、生きづらさと適応戦略の結果生み出された、さまざまなパーソナリティ障害を、タイプことに見ていきたい。